忠烈祠
1911年の辛亥革命から、現代まで国家のために殉死した英霊33万人を祀っています。

大門。
大門から正面に大殿。
こちらもちょうど衛兵交替式の時間でした。
ガイドさんによると衛兵になるには陸海空軍のエリートで、身長178㎝以上、体重72㎏以内?
といったような厳しい条件をクリアした人が選ばれるそうです。

さらになんとまばたきも禁じられているそうで、なんて過酷な!と驚きました。
日本でも一瞬の間(魔?)といった言葉があるように、英霊を守るために一瞬であっても気を抜いてはいけないそうです。
中央広場を行進し、正面の大殿で交替式が行われました。
規則的な軍靴の音と銃剣の音が響いていて、厳粛な気分になりました。

交替後の衛兵さん。本当にピクリとも動かないので凄いです。
大殿の右側にあるレリーフ。日本語での説明は広州の革命。
日本だと広州蜂起として知られています。
左側のレリーフ。日本語での説明は上海における対日抗戦。
日本だと第二次上海事変と呼ばれています。
大殿の中の祭壇には国民革命烈士之霊位と書かれた位牌があります。
1911年の辛亥革命から、現代まで国家のために殉死した英霊33万人を祀っています。
大門。
大門から正面に大殿。
こちらもちょうど衛兵交替式の時間でした。
ガイドさんによると衛兵になるには陸海空軍のエリートで、身長178㎝以上、体重72㎏以内?
といったような厳しい条件をクリアした人が選ばれるそうです。
さらになんとまばたきも禁じられているそうで、なんて過酷な!と驚きました。
日本でも一瞬の間(魔?)といった言葉があるように、英霊を守るために一瞬であっても気を抜いてはいけないそうです。
中央広場を行進し、正面の大殿で交替式が行われました。
規則的な軍靴の音と銃剣の音が響いていて、厳粛な気分になりました。
交替後の衛兵さん。本当にピクリとも動かないので凄いです。
大殿の右側にあるレリーフ。日本語での説明は広州の革命。
日本だと広州蜂起として知られています。
左側のレリーフ。日本語での説明は上海における対日抗戦。
日本だと第二次上海事変と呼ばれています。
大殿の中の祭壇には国民革命烈士之霊位と書かれた位牌があります。
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中正記念堂。
蒋介石をたたえるために建てられた記念公園です。
記念堂の南北にはそれぞれ「大忠門」と「大孝門」があり、私たちは大孝門から入りました。
当然ながら正門もあるそうですが、そちらは観光客が多いうえに記念堂までの距離が長いそうです。
中正記念堂。ちょうど外観の修復期間中でした。
記念堂の一階では蒋介石についての常設展があります。
上の写真は、台湾国父とされる孫文(左)と蒋介石(右)が、
1923年7月6日に北伐軍の相談をして広州駅で撮った写真を元に描かれたもの。
蒋介石記念室。
1994年に、総統府からそのまま移動させてきたそうで、すべて本物だそう。
椅子に座る蒋介石の蝋人形がリアルでぎょっとしました。
記念堂の二重のひさしは、中国語では「複簷」といって、この「複」が「復」と発音が同じなので、中華明国の復興、大陸の回復という思いが込められているそうです。

記念堂内部には超大きな蒋介石像。なんと高さ6.3mだそう。
壁には「倫理」「民主」「科学」の文字が。
ちょうど衛兵の交替式が行われていました。
中正記念堂から正門の景色。広い!
この階段、蒋介石の亡くなった歳に合わせて89段あるそうです。
この中世記念堂のある公園、政治色が強いと思いきや、それだけではなかったです。
こちらはよく旅番組でタレントさんが「痛い!」と叫びながら裸足で歩く観光スポット。
健康歩道といって、なんと100mもあるそうです。大孝門の近くにあります。
せっかくの機会とはいえ、挑戦はしませんでした。

そしてたくさんの木があるのですが、なんと野生のリスが!
短い時間でしたが2匹は見つけました。とっても可愛かったです。
人間のことをまったく気にしないので驚きました。
蒋介石をたたえるために建てられた記念公園です。
記念堂の南北にはそれぞれ「大忠門」と「大孝門」があり、私たちは大孝門から入りました。
当然ながら正門もあるそうですが、そちらは観光客が多いうえに記念堂までの距離が長いそうです。
中正記念堂。ちょうど外観の修復期間中でした。
記念堂の一階では蒋介石についての常設展があります。
上の写真は、台湾国父とされる孫文(左)と蒋介石(右)が、
1923年7月6日に北伐軍の相談をして広州駅で撮った写真を元に描かれたもの。
蒋介石記念室。
1994年に、総統府からそのまま移動させてきたそうで、すべて本物だそう。
椅子に座る蒋介石の蝋人形がリアルでぎょっとしました。
記念堂の二重のひさしは、中国語では「複簷」といって、この「複」が「復」と発音が同じなので、中華明国の復興、大陸の回復という思いが込められているそうです。
記念堂内部には超大きな蒋介石像。なんと高さ6.3mだそう。
壁には「倫理」「民主」「科学」の文字が。
ちょうど衛兵の交替式が行われていました。
中正記念堂から正門の景色。広い!
この階段、蒋介石の亡くなった歳に合わせて89段あるそうです。
この中世記念堂のある公園、政治色が強いと思いきや、それだけではなかったです。
こちらはよく旅番組でタレントさんが「痛い!」と叫びながら裸足で歩く観光スポット。
健康歩道といって、なんと100mもあるそうです。大孝門の近くにあります。
せっかくの機会とはいえ、挑戦はしませんでした。
そしてたくさんの木があるのですが、なんと野生のリスが!
短い時間でしたが2匹は見つけました。とっても可愛かったです。
人間のことをまったく気にしないので驚きました。
日本での国会議事堂にあたる総統府。
こちらは車窓から眺めたのみです。

日本の統治時代に作られ、当時は総督府と呼ばれていました。
東京駅を設計した辰野金吾の弟子、長野 宇平治の設計を基礎にして、
辰野自身も監修に加わったため東京駅と似ているといわれています。
時計台がかっこいいです。
こちらは車窓から眺めたのみです。
日本の統治時代に作られ、当時は総督府と呼ばれていました。
東京駅を設計した辰野金吾の弟子、長野 宇平治の設計を基礎にして、
辰野自身も監修に加わったため東京駅と似ているといわれています。
時計台がかっこいいです。
台湾旅行その1。まずは行天宮。
こちらは三国志で有名な関羽が祀られているお寺です。
巽門。
前殿中門。
前にいる鎮門獣は石獅子ではなく、麒麟だそう。
またこちらのお寺では、数年前から台湾では珍しくお線香とお供え物を置かない決まりになったそうです。
正殿。正面が関聖帝君(関帝)
長い髭に赤い顔が特徴です。商売繁盛の神様として祀られているそうです。
ガイドさんによると日本の神様とは違い、台湾では祀られている神様それぞれに決まった領分があるそうです。
例えば商売繁盛の神様、金運の神様、健康の神様といったように。
だから商売繁盛の神様に健康をお願いしても叶えてもらえないそうです。
屋根の上にいる龍。
邪除けと火災防止の意味があるそうです。
全体的に建物の装飾の色遣いがカラフルで、とっても鮮やかでした。
寺の前の道も綺麗に整っていました。
寺のすぐ前に、地下にある占い横丁への入口がありました。
よく旅番組などで見かける気がします。
ちょっと気になりましたが、時間がなかったので行きませんでした。
こちらは三国志で有名な関羽が祀られているお寺です。
巽門。
前殿中門。
前にいる鎮門獣は石獅子ではなく、麒麟だそう。
またこちらのお寺では、数年前から台湾では珍しくお線香とお供え物を置かない決まりになったそうです。
正殿。正面が関聖帝君(関帝)
長い髭に赤い顔が特徴です。商売繁盛の神様として祀られているそうです。
ガイドさんによると日本の神様とは違い、台湾では祀られている神様それぞれに決まった領分があるそうです。
例えば商売繁盛の神様、金運の神様、健康の神様といったように。
だから商売繁盛の神様に健康をお願いしても叶えてもらえないそうです。
屋根の上にいる龍。
邪除けと火災防止の意味があるそうです。
全体的に建物の装飾の色遣いがカラフルで、とっても鮮やかでした。
寺の前の道も綺麗に整っていました。
寺のすぐ前に、地下にある占い横丁への入口がありました。
よく旅番組などで見かける気がします。
ちょっと気になりましたが、時間がなかったので行きませんでした。
上高津貝塚ふるさと歴史の広場に行ってきました。
今からおよそ3,000~4,000年前の縄文後期・晩期に作られた上高津貝塚と、それに関する考古資料館で構成された博物館です。
まずは考古資料館に行きましたが、残念ながら現在は常設展のみでした。
常設展の展示物は、この規模の博物館だとこんなものだよね、
といった感じでしたが、一つだけ他の資料館では見たことがないものが。
それは水槽。
なかなか大きな水槽なのですが、 当時の上高津に暮らしていた縄文人が食べていただろう魚のみを展示しているそうです。
あの大きさの水槽で魚を飼育するとなると大変でしょうが、インパクトがありました。
写真でお見せできないのが残念です。
続いて貝層断面展示施設

施設内には貝塚の断面が展示されていて、貝塚の成り立ちが観察できます。
続いて復元された竪穴住居
内部
床
全部で3棟復元されていました。
竪穴住居のある広場は、とっても広かったです。なんと5haあるそうです。
展望台からの眺め
目の前の茶色い部分は貝塚で、物凄くたくさんの貝殻が顔を出していました。
白いものはほとんどが貝殻です。
他にも土器や石器、魚や獣の骨も見つかるそうです。
今からおよそ3,000~4,000年前の縄文後期・晩期に作られた上高津貝塚と、それに関する考古資料館で構成された博物館です。
まずは考古資料館に行きましたが、残念ながら現在は常設展のみでした。
常設展の展示物は、この規模の博物館だとこんなものだよね、
といった感じでしたが、一つだけ他の資料館では見たことがないものが。
それは水槽。
なかなか大きな水槽なのですが、 当時の上高津に暮らしていた縄文人が食べていただろう魚のみを展示しているそうです。
あの大きさの水槽で魚を飼育するとなると大変でしょうが、インパクトがありました。
写真でお見せできないのが残念です。
続いて貝層断面展示施設
施設内には貝塚の断面が展示されていて、貝塚の成り立ちが観察できます。
続いて復元された竪穴住居
内部
床
全部で3棟復元されていました。
竪穴住居のある広場は、とっても広かったです。なんと5haあるそうです。
展望台からの眺め
目の前の茶色い部分は貝塚で、物凄くたくさんの貝殻が顔を出していました。
白いものはほとんどが貝殻です。
他にも土器や石器、魚や獣の骨も見つかるそうです。