長野二日目はまず善光寺に行ってきました。
友達にずっと「すごいお寺だよ。行くべき!」と言われていましたが、ようやく行くことができました。
仁王門
善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。
仲見世通り
午前8時半頃に行ったので、人も少なかったです。
山門
本堂。
中で戒壇巡りができました。約10年前の京都の清水寺以来です。
暗闇の中自分の手の感触だけを頼りに進みます。
まだ人の少ない時間だったのでスタート付近では微かに感じていた人の気配すら歩いていくうちに感じなくなり、暗闇と相まってものすごく怖かったです。
何も見えないので平衡感覚がどんどん失われていくようでまっすぐ歩くのすら難しくなりました。
ゴールの明りが見えたときはホッとしました。
地上に出たときは体中がものすごくこわばっていました。
でもなんとか「極楽の錠前」に触れられたので、御本尊様と結縁を果たせたのでしょうか。
本堂の左右にそれぞれ鐘が釣ってあるのですが、
「善光寺と言えば鐘でしょ?」と連れが何やら探している様子。
すぐに見つけたのは、左側の鐘のそばの柱傷。
160年以上前に起きた善光寺地震(1847年)の際に、鐘が外れて柱に傷をつけたそうです。
日本忠霊殿・善光寺史料館
戊辰戦争から太平洋戦争に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊をお祀りする、日本で唯一の仏式による霊廟だそうです。
史料館にはダライラマ14世が寄贈した釈迦如来坐像や、砂絵曼荼羅も展示されていました。
友達にずっと「すごいお寺だよ。行くべき!」と言われていましたが、ようやく行くことができました。
仁王門
善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。
仲見世通り
午前8時半頃に行ったので、人も少なかったです。
山門
本堂。
中で戒壇巡りができました。約10年前の京都の清水寺以来です。
暗闇の中自分の手の感触だけを頼りに進みます。
まだ人の少ない時間だったのでスタート付近では微かに感じていた人の気配すら歩いていくうちに感じなくなり、暗闇と相まってものすごく怖かったです。
何も見えないので平衡感覚がどんどん失われていくようでまっすぐ歩くのすら難しくなりました。
ゴールの明りが見えたときはホッとしました。
地上に出たときは体中がものすごくこわばっていました。
でもなんとか「極楽の錠前」に触れられたので、御本尊様と結縁を果たせたのでしょうか。
本堂の左右にそれぞれ鐘が釣ってあるのですが、
「善光寺と言えば鐘でしょ?」と連れが何やら探している様子。
すぐに見つけたのは、左側の鐘のそばの柱傷。
160年以上前に起きた善光寺地震(1847年)の際に、鐘が外れて柱に傷をつけたそうです。
日本忠霊殿・善光寺史料館
戊辰戦争から太平洋戦争に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊をお祀りする、日本で唯一の仏式による霊廟だそうです。
史料館にはダライラマ14世が寄贈した釈迦如来坐像や、砂絵曼荼羅も展示されていました。
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