小石川後楽園に行ってきました。
この庭園は、水戸徳川家の初代徳川頼房によって作られ、
一般に水戸黄門として知られている二代光圀によって完成した庭園です。
光圀が明の遺臣である朱 舜水の意見を用いたため、中国趣味が強い庭園となっています。
園名である「後楽」は、北宋の范仲淹が述べた「先憂後楽」によったものだそうです。
意味は「常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。」(三省堂「新明解四字熟語辞典」)
得仁堂。
光圀が建てた園内最古の建物。
『得仁堂』扁額の下に翼竜。
復元されたものだそうですが、鮮やかな色彩です。
通常は内部は公開していないそうですが、この日は偶然公開されていました。
堂内の最奥には伯夷・叔斉の像の等身大パネルが。
その場にはボランティアガイドの方たちがいて、いろいろと説明をして下さいました。
本当はあと一つ泰伯の像があったと伝わっているそうですが、
現存するのは上の伯夷・叔斉像だけだそうです。
堂内の床。
模様が綺麗だな~と思いましたが、石ではなく陶器でタイル状に焼かれたものだそうです。
園内で見かけた鳥。
何の鳥かわからないけど可愛かったです。
この庭園は、水戸徳川家の初代徳川頼房によって作られ、
一般に水戸黄門として知られている二代光圀によって完成した庭園です。
光圀が明の遺臣である朱 舜水の意見を用いたため、中国趣味が強い庭園となっています。
園名である「後楽」は、北宋の范仲淹が述べた「先憂後楽」によったものだそうです。
意味は「常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。」(三省堂「新明解四字熟語辞典」)
得仁堂。
光圀が建てた園内最古の建物。
『得仁堂』扁額の下に翼竜。
復元されたものだそうですが、鮮やかな色彩です。
通常は内部は公開していないそうですが、この日は偶然公開されていました。
堂内の最奥には伯夷・叔斉の像の等身大パネルが。
その場にはボランティアガイドの方たちがいて、いろいろと説明をして下さいました。
本当はあと一つ泰伯の像があったと伝わっているそうですが、
現存するのは上の伯夷・叔斉像だけだそうです。
堂内の床。
模様が綺麗だな~と思いましたが、石ではなく陶器でタイル状に焼かれたものだそうです。
園内で見かけた鳥。
何の鳥かわからないけど可愛かったです。
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