熊本で義理の祖父の通夜と葬儀に出席しました。
その際に「香典」とは別に「目覚まし」というものがあったので、
忘れないために記録しておきます。
「目覚まし」
通夜の際に持参するお金。不祝儀袋に「目覚まし」と書く。
もし葬儀に出席しない場合は同時に「香典」も渡す。
葬儀に出席する場合は通夜の日は「目覚まし」だけ、「香典」は葬儀の時に渡す。
親戚の方に聞いたら熊本でも市内では「目覚まし」はないんじゃないかしらと仰っていました。
金額に関しては同じ町内でもその中の地域や故人との関係によって異なるようです。
昔はお金ではなくて食べ物や米でもよかったそうですが、
これを食べて一晩中起きて線香を絶やさないように、といった意味や、
故人がもう一度目を覚ますようにといった意味があると言われているそうです。
その際に「香典」とは別に「目覚まし」というものがあったので、
忘れないために記録しておきます。
「目覚まし」
通夜の際に持参するお金。不祝儀袋に「目覚まし」と書く。
もし葬儀に出席しない場合は同時に「香典」も渡す。
葬儀に出席する場合は通夜の日は「目覚まし」だけ、「香典」は葬儀の時に渡す。
親戚の方に聞いたら熊本でも市内では「目覚まし」はないんじゃないかしらと仰っていました。
金額に関しては同じ町内でもその中の地域や故人との関係によって異なるようです。
昔はお金ではなくて食べ物や米でもよかったそうですが、
これを食べて一晩中起きて線香を絶やさないように、といった意味や、
故人がもう一度目を覚ますようにといった意味があると言われているそうです。
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日枝神社。
修禅寺の鬼門にあり、もとは修禅寺の山王社でしたが、
明治の神仏分離令で分離されたそうです。
鳥居をくぐって少し歩いた右手には、
源範頼が自害した場所とされる信功院跡がありました。
看板には「信功院はのちに庚申堂となり今は庚申塔一基が残っています。」
と書いてありました。
本堂。
静岡県の天然記念物にしていされているイチイカシ。
イチイカシは伊豆では珍しいそうです。
午前7時くらいに参拝したので他の参拝者には会いませんでした。
もっと伊豆を堪能したかったのですが、今回の伊豆旅行はここまでです。
このあといったん東京に戻り、そのまま熊本に飛んで通夜に参加して、
翌日は葬儀、そしてまた東京に戻りました。
指月殿の次は源範頼の墓を目指しました。
民家の間に墓への道がありました。
小高い丘?山?の上に墓はありました。
源範頼の墓。
源範頼は源頼朝の異母弟で、頼朝に謀反を疑われ修禅寺に幽閉され、
のちに自害したと伝えられているそうです。

墓の近くにあった梅の花。
すでに咲き始めていました。
その6へ
民家の間に墓への道がありました。
小高い丘?山?の上に墓はありました。
源範頼の墓。
源範頼は源頼朝の異母弟で、頼朝に謀反を疑われ修禅寺に幽閉され、
のちに自害したと伝えられているそうです。
墓の近くにあった梅の花。
すでに咲き始めていました。
その6へ
修禅寺の次は指月殿を目指しました。

指月殿。

頼家の冥福を祈って、母の北条政子が建立したものです。
伊豆最古の木造建築だと言われています。
扁額は一山一寧の書と言われていて、本物は修禅寺の宝物殿にあるそうです。
本尊の釈迦如来坐像。
源頼家の墓。
石碑は1704年に、その時の修禅寺の住職が建てた供養塔で、
その裏側にある五輪石塔が頼家の墓と伝わっているそうです。
伊豆その5へ
指月殿。
頼家の冥福を祈って、母の北条政子が建立したものです。
伊豆最古の木造建築だと言われています。
扁額は一山一寧の書と言われていて、本物は修禅寺の宝物殿にあるそうです。
本尊の釈迦如来坐像。
源頼家の墓。
石碑は1704年に、その時の修禅寺の住職が建てた供養塔で、
その裏側にある五輪石塔が頼家の墓と伝わっているそうです。
伊豆その5へ
源頼家が幽閉されていたことで知られる修禅寺。
開基は弘法大師だと伝えられています。
手水舎の水がまさかの温泉でした。
手水舎の額には「桂谷霊泉 大師の湯」とありました。飲むこともできるそうです。
本堂。写真が傾いてしまいました
本堂の扁額。
副島種臣の揮毫。
寺域内になぜか椎茸。
残念ながら宝物殿はすでに閉館していたので見れませんでした。
修禅寺の前に流れる修善寺川(桂川)には、
弘法大師が湧かせたという「独鈷の湯」があります。(写真右側の四阿)
名前の通り弘法大師が独鈷杵で湧かしたと伝わっています。
現在の「独鈷の湯」は2009年春に、
台風の影響などでもとの場所から19m下流に移転されたものだそうです。
ちなみに昭和30年に修禅寺の裏山から独鈷杵が発掘され、
専門家に鑑定を依頼したところ、平安期(藤原期)のものだったそうです。
発掘された独鈷杵は現在修禅寺の宝物館で公開されているようです。
その4へ