常陸風土記の丘に行ってきました。
案内所をくぐると、内部は広い公園になっています。
蓮の葉がいっぱい。
この蓮は大賀ハスと言って、今から2000年以上前の古代のハスから発芽、開花させた品種だそうです。花が咲いた姿をぜひ見てみたいです。
時の門というモニュメント。それぞれの時代をイメージしているそうです。
こちらは現代。
こちらは中世。

こちらは古代。

電話BOXも古代風。
この先から有料エリアになります。
この先に資料館があり、主に石岡市内で発掘された埋蔵文化財が遺跡別に展示されていました。
歴史ボランティアの方がものすごく詳しく展示品を説明して下さったので助かりました。
さっぱり知らなかった石岡の歴史を少しだけ知れたと思います。
なんでも桓武天皇の頃、蝦夷征伐の前線基地である多賀城に近いことから、この辺りは武器、諸物資の調達などの兵站基地としての役割を果たしていたと考えられているそうです。
石岡市の鹿の子C遺跡には、鍛冶工房跡や漆を使った工房跡があり、武器や武具の鉄製品が多数出土したそうです。資料館にはそういったものも展示してありました。
資料館の外には、古代家屋が復元された広場があります。
歴史ボランティアの方は屋外もばっちりガイドして下さいました。
広場は大きく分けて2つ、工房・住居ブロックと官衙ブロックに分かれていました。
初めて見た横長い竪穴住居。
こちらは連房式竪穴遺構と言って、住宅と工房が併用されたと考えられているそうです。
中から見ても長い。
遺構からは炉跡1基、かまど跡4基、墨書土器、漆付着土器、瓦などいろいろ出土したそうです。
この門の向こうから官衙ブロック。
高床式倉庫。官衙の貴重品を収蔵していたと考えられているそうです。
あとガイドさんの話で面白かったのは、平将門が反乱を起こした際に国衙のあった石岡は攻められたので、石岡の人は平将門があんまり好きじゃないというお話。
漠然と平将門は茨城県民にとってヒーローだと思ってたので驚きました。
でも他県出身のガイドさんは平将門が好きだそうです。
日本一の獅子頭。こちらは無料のエリアにあります。

竹下登首相時代のふるさと創生事業金として1億円交付されたとき、
石岡市はこの巨大な獅子頭を作ったそうで、現在は石岡市のシンボルになっているそうです。
口の中からの眺め。
公園自体もよく整備されていたので、今度は花の季節に行きたいです。
案内所をくぐると、内部は広い公園になっています。
蓮の葉がいっぱい。
この蓮は大賀ハスと言って、今から2000年以上前の古代のハスから発芽、開花させた品種だそうです。花が咲いた姿をぜひ見てみたいです。
時の門というモニュメント。それぞれの時代をイメージしているそうです。
こちらは現代。
こちらは中世。
こちらは古代。
電話BOXも古代風。
この先から有料エリアになります。
この先に資料館があり、主に石岡市内で発掘された埋蔵文化財が遺跡別に展示されていました。
歴史ボランティアの方がものすごく詳しく展示品を説明して下さったので助かりました。
さっぱり知らなかった石岡の歴史を少しだけ知れたと思います。
なんでも桓武天皇の頃、蝦夷征伐の前線基地である多賀城に近いことから、この辺りは武器、諸物資の調達などの兵站基地としての役割を果たしていたと考えられているそうです。
石岡市の鹿の子C遺跡には、鍛冶工房跡や漆を使った工房跡があり、武器や武具の鉄製品が多数出土したそうです。資料館にはそういったものも展示してありました。
資料館の外には、古代家屋が復元された広場があります。
歴史ボランティアの方は屋外もばっちりガイドして下さいました。
広場は大きく分けて2つ、工房・住居ブロックと官衙ブロックに分かれていました。
初めて見た横長い竪穴住居。
こちらは連房式竪穴遺構と言って、住宅と工房が併用されたと考えられているそうです。
中から見ても長い。
遺構からは炉跡1基、かまど跡4基、墨書土器、漆付着土器、瓦などいろいろ出土したそうです。
この門の向こうから官衙ブロック。
高床式倉庫。官衙の貴重品を収蔵していたと考えられているそうです。
あとガイドさんの話で面白かったのは、平将門が反乱を起こした際に国衙のあった石岡は攻められたので、石岡の人は平将門があんまり好きじゃないというお話。
漠然と平将門は茨城県民にとってヒーローだと思ってたので驚きました。
でも他県出身のガイドさんは平将門が好きだそうです。
日本一の獅子頭。こちらは無料のエリアにあります。
竹下登首相時代のふるさと創生事業金として1億円交付されたとき、
石岡市はこの巨大な獅子頭を作ったそうで、現在は石岡市のシンボルになっているそうです。
口の中からの眺め。
公園自体もよく整備されていたので、今度は花の季節に行きたいです。
PR