第32回 柴山はにわ祭に行ってきました。
東京の自宅からおよそ2時間、まずは芝山千代田駅に到着です。

ICカード未対応だったので、改札を出るときに少し戸惑いました。
この電車が走っている芝山鉄道線は、普通鉄道では日本一総営業距離が短い路線だそうです。
駅前ではにわ祭実行委員会の方がパンフレットを配って下さいました。
ここから送迎バスを利用して芝山公園まで。
送迎バスの利用者は10~20人くらいでした。
20分以上バスに揺られて到着!
長い階段の先には芝山仁王尊(観音教寺)があります。
三重塔。千葉県指定有形文化財だそうです。
三重塔前で、交歓の儀。
古代人の来臨を仰ぎ、現代人と交歓します。
上の写真は観音教寺の方による歓迎の法要。
そして現代によみがえった古代人による挨拶。
上の方は1400年ほどまえの国造(くにのみやつこ)だそうです。
国造、とっても堂々としていてスピーチ慣れしているように感じました。
さすが国造!
ちなみにいただいたパンフレットには国造の御託宣が掲載されていました。

その後古代人による巫女舞。
(地元芝山中学校で受け継がれてきた伝統の舞だそうです)
さらに千葉県指定民俗文化財に指定されているという
白枡粉屋踊(しらますこなやおどり)が披露されました。
せっかくなのでお寺にお参りした後、隣接している柴山公園に向かいました。
公園にたたずむはにわ。
こんなのは岩戸山古墳以来です。もっともあちらは石人でしたが。
屋台の後ろに見える巨大なトーテムポール風のはにわ。
ちょっと怖い・・・。
もちろんはにわの販売も行われていました。
メインステージ付近。とっても盛況でした。
芝山古墳はにわ博物館。
祭り当日は無料で入館できました。
館内では古代のチーズ 酥(そ)の試食ができました。
見かけは粘土のような味噌のような・・・。
一口食べて、沈黙・・・。
味と食感は焼く前のクッキー生地のような感じでした。
正直美味しくないです。
じゃりじゃりとした舌触りは砂糖だったのかな・・?
とりあえずとっても甘かったです。
博物館の方に製法と材料を聞いておけば良かったです。
酥(もしくは蘇)は、調べてみると自分で作ってみた人がいたり、
奈良の土産物屋さんでも購入できるようですね。奥深い世界です・・・。
酥(蘇)についてもっと詳しく知りたい方は↓の論文をどうぞ~
(クリックで別窓が開きます)
日本古代における乳製品酪・酥・醍醐等に関する文献的考察日本家政学会誌.39(1),1988-01.p.71-76.
「芝山はにわ祭」日本版ハロウィン的ななかなか面白いお祭りでした。
東京の自宅からおよそ2時間、まずは芝山千代田駅に到着です。
ICカード未対応だったので、改札を出るときに少し戸惑いました。
この電車が走っている芝山鉄道線は、普通鉄道では日本一総営業距離が短い路線だそうです。
駅前ではにわ祭実行委員会の方がパンフレットを配って下さいました。
ここから送迎バスを利用して芝山公園まで。
送迎バスの利用者は10~20人くらいでした。
20分以上バスに揺られて到着!
長い階段の先には芝山仁王尊(観音教寺)があります。
三重塔。千葉県指定有形文化財だそうです。
三重塔前で、交歓の儀。
古代人の来臨を仰ぎ、現代人と交歓します。
上の写真は観音教寺の方による歓迎の法要。
そして現代によみがえった古代人による挨拶。
上の方は1400年ほどまえの国造(くにのみやつこ)だそうです。
国造、とっても堂々としていてスピーチ慣れしているように感じました。
さすが国造!
ちなみにいただいたパンフレットには国造の御託宣が掲載されていました。
その後古代人による巫女舞。
(地元芝山中学校で受け継がれてきた伝統の舞だそうです)
さらに千葉県指定民俗文化財に指定されているという
白枡粉屋踊(しらますこなやおどり)が披露されました。
せっかくなのでお寺にお参りした後、隣接している柴山公園に向かいました。
公園にたたずむはにわ。
こんなのは岩戸山古墳以来です。もっともあちらは石人でしたが。
屋台の後ろに見える巨大なトーテムポール風のはにわ。
ちょっと怖い・・・。
もちろんはにわの販売も行われていました。
メインステージ付近。とっても盛況でした。
芝山古墳はにわ博物館。
祭り当日は無料で入館できました。
館内では古代のチーズ 酥(そ)の試食ができました。
見かけは粘土のような味噌のような・・・。
一口食べて、沈黙・・・。
味と食感は焼く前のクッキー生地のような感じでした。
正直美味しくないです。
じゃりじゃりとした舌触りは砂糖だったのかな・・?
とりあえずとっても甘かったです。
博物館の方に製法と材料を聞いておけば良かったです。
酥(もしくは蘇)は、調べてみると自分で作ってみた人がいたり、
奈良の土産物屋さんでも購入できるようですね。奥深い世界です・・・。
酥(蘇)についてもっと詳しく知りたい方は↓の論文をどうぞ~
(クリックで別窓が開きます)
日本古代における乳製品酪・酥・醍醐等に関する文献的考察日本家政学会誌.39(1),1988-01.p.71-76.
「芝山はにわ祭」日本版ハロウィン的ななかなか面白いお祭りでした。
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小石川後楽園に行ってきました。
この庭園は、水戸徳川家の初代徳川頼房によって作られ、
一般に水戸黄門として知られている二代光圀によって完成した庭園です。
光圀が明の遺臣である朱 舜水の意見を用いたため、中国趣味が強い庭園となっています。
園名である「後楽」は、北宋の范仲淹が述べた「先憂後楽」によったものだそうです。
意味は「常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。」(三省堂「新明解四字熟語辞典」)
得仁堂。
光圀が建てた園内最古の建物。
『得仁堂』扁額の下に翼竜。
復元されたものだそうですが、鮮やかな色彩です。
通常は内部は公開していないそうですが、この日は偶然公開されていました。
堂内の最奥には伯夷・叔斉の像の等身大パネルが。
その場にはボランティアガイドの方たちがいて、いろいろと説明をして下さいました。
本当はあと一つ泰伯の像があったと伝わっているそうですが、
現存するのは上の伯夷・叔斉像だけだそうです。
堂内の床。
模様が綺麗だな~と思いましたが、石ではなく陶器でタイル状に焼かれたものだそうです。
園内で見かけた鳥。
何の鳥かわからないけど可愛かったです。
この庭園は、水戸徳川家の初代徳川頼房によって作られ、
一般に水戸黄門として知られている二代光圀によって完成した庭園です。
光圀が明の遺臣である朱 舜水の意見を用いたため、中国趣味が強い庭園となっています。
園名である「後楽」は、北宋の范仲淹が述べた「先憂後楽」によったものだそうです。
意味は「常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。」(三省堂「新明解四字熟語辞典」)
得仁堂。
光圀が建てた園内最古の建物。
『得仁堂』扁額の下に翼竜。
復元されたものだそうですが、鮮やかな色彩です。
通常は内部は公開していないそうですが、この日は偶然公開されていました。
堂内の最奥には伯夷・叔斉の像の等身大パネルが。
その場にはボランティアガイドの方たちがいて、いろいろと説明をして下さいました。
本当はあと一つ泰伯の像があったと伝わっているそうですが、
現存するのは上の伯夷・叔斉像だけだそうです。
堂内の床。
模様が綺麗だな~と思いましたが、石ではなく陶器でタイル状に焼かれたものだそうです。
園内で見かけた鳥。
何の鳥かわからないけど可愛かったです。
富岡八幡宮に行ったので、近くにある清澄庭園にも行ってきました。
清澄庭園は、明治13年に岩崎弥太郎が「深川親睦園」として開園したものです。
「回遊式林泉庭園」として明治の庭園を代表するものだったそうです。
現在の清澄庭園は、岩崎家から寄付を受けた東京都が、
関東大震災で受けた被害を整備して昭和7年から公園として開園したものだそうです。
紅葉を期待していきましたが、少し早かったようです。
涼亭。
明治42年(1909)に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたそうです。
石仏群。
江東区の文化財に指定されているそうです。
大泉水の鯉。
水際を歩くと、餌をもらおうと鯉がどこまでも後をついてきます。
あまりにたくさん鯉がついてくるので、気が付いたときにはぎょっとしました。
清澄庭園は、明治13年に岩崎弥太郎が「深川親睦園」として開園したものです。
「回遊式林泉庭園」として明治の庭園を代表するものだったそうです。
現在の清澄庭園は、岩崎家から寄付を受けた東京都が、
関東大震災で受けた被害を整備して昭和7年から公園として開園したものだそうです。
紅葉を期待していきましたが、少し早かったようです。
涼亭。
明治42年(1909)に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたそうです。
石仏群。
江東区の文化財に指定されているそうです。
大泉水の鯉。
水際を歩くと、餌をもらおうと鯉がどこまでも後をついてきます。
あまりにたくさん鯉がついてくるので、気が付いたときにはぎょっとしました。
今日は富岡八幡宮(深川八幡)にお参りに行ってきました。
ちょうど七五三のお参りと重なったらしく、
境内には晴れ着姿の家族連れがたくさんいました。
そして境内にNHK教育で流れていそうな七五三の歌?が流れていて面白かったです。
境内にあった伊能忠敬像。
寛政12年(1800年)の閏4月19日(陽暦6月11日)、
55歳の伊能忠敬はこの富岡八幡宮に参拝してから全国測量の旅に出発したそうです。
ちょうど七五三のお参りと重なったらしく、
境内には晴れ着姿の家族連れがたくさんいました。
そして境内にNHK教育で流れていそうな七五三の歌?が流れていて面白かったです。
境内にあった伊能忠敬像。
寛政12年(1800年)の閏4月19日(陽暦6月11日)、
55歳の伊能忠敬はこの富岡八幡宮に参拝してから全国測量の旅に出発したそうです。
大学の友人に会いに仙台に行ってきました。
仙台に行ったのは6年ぶりくらいでしょうか。

今回は仙台市内はまったく観光せず、秋保に行きました。
上の写真は秋保にある磊々峡(らいらいきょう)。
「磊」という字は石がゴロゴロしている様を表すそうです。
名前の通り川の両岸に大岩が沢山ありました。
また同じく秋保にある仙台万華鏡美術館にも行ってきました。
いろんな万華鏡が展示してあって面白かったです。
仙台に行ったのは6年ぶりくらいでしょうか。
今回は仙台市内はまったく観光せず、秋保に行きました。
上の写真は秋保にある磊々峡(らいらいきょう)。
「磊」という字は石がゴロゴロしている様を表すそうです。
名前の通り川の両岸に大岩が沢山ありました。
また同じく秋保にある仙台万華鏡美術館にも行ってきました。
いろんな万華鏡が展示してあって面白かったです。